夢前町の赤松氏城跡、置塩山
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平成14年9月29日(日) メンバー 私だけ
置塩山 | おきしおやま | 370m+ |
置塩城跡
1469年から1577年までの約100年間、赤松家の居城となっていた置塩山(置塩城跡)に登ってきた。姫路から夢前川沿いに北に行き塩田温泉の手前にある、地形図では城山と表示されている山だ。
9:58
家を出発。ここ数日の天気は悪く、今日の降水確率は午前中は40%、午後は20%で予報は曇り。
書写山を左手に見ながら、県道67号線を北上、夢前町の宮置(中村)で右に曲がり暮坂峠に向かう道(県道80号線)にはいる。
10:21
夢前川を渡ったら、すぐ左に曲がり夢前川沿いの道に入り、北に1km弱進むと、道の右側に置塩城跡登山口の石碑や案内看板が立っていた。道の横には駐車スペースも用意されていて20台ぐらいは止められるようになっている。
置塩城跡登山口の石碑は平成3年4月に夢前ライオンズクラブにより建てられたもので、裏に名前が50人分彫ってあるが、全部男のようだ。日本にはメスのライオンはいないのだろうか。
その横の柱に書いてある説明文。
史跡 置塩城跡
別名を藤丸城、後期赤松氏を再興した播磨、備前、美作の大守赤松政則が天明元年(1469)に築城した。
後期赤松氏の本城で本丸、二の丸、三の丸をはじめ幾多の砦、石塁、土塁、空堀り跡が残り中世山城の壮大な城郭がしのばれる。五代則房が天正5年(1577)羽柴秀吉に服して開城、阿波国加嶋へ移るまで百余年間続いた。
標高370m。城域は山上約6ha。是より本丸まで徒歩約60分。途中に門の跡なども見られ、城跡からは四方の展望がすばらしい夢前町
そのうしろの警告文
お願い
置塩城址は、夢前町指定文化財です。
この付近での発掘・遺物のもちかえり等は、絶対にしないようお願いします。夢前町教育委員会
置塩城跡は国指定史跡です。この地域内で許可なく伐採、発掘ならびに遺物をもちかえる等の行為は法律により固く禁じられ厳罰の対象になります。
夢前町・夢前町教育委員会
置塩城が無くなって400年、今でも盗掘をする人がいるだろうか。
それから、「国指定史跡 赤松氏城跡 置塩城跡」の柱もあった。
10:28
用意を終え登山開始。登山道に入ると、すぐに夢前ライオンズクラブが建てた「登山道 置塩城跡は十八丁」の石碑がある。これは平成6年9月に建てられたものだ。
その先には巣箱が10個ほど、周りの木に掛けてあり、小鳥の団地でも作ろうとしたのかな。
道は登山道以上、遊歩道以下といった感じで、雑木の中に九十九折れに付けられていて、それほど急ではない。道幅が広いのでクモの巣は無い。
ライオンズクラブの建てた道標が2分おきくらいに現れ、残りはどれ位なのか良く分かる。真ん中の九丁には休憩場所(ベンチなどは無い)があり、そこからは麓の町が見えるた。
十丁の先には階段道があるが、ごく一部だけだった。そこで下山中の夫婦に出会う。十二丁の先に石組みがあり、石垣跡かなと思ったら炭焼窯の跡だった。
11:14
「南曲輪群へ」の案内板の先の十八丁に到着。ここには小規模な崩れかけた石垣跡があり土嚢で補強してあった。夢前町が平成8年7月に設置した「置塩城跡案内図」があり、東側の高い所が本丸跡、正面が二の丸跡、その奥が三の丸跡、西の外れに大手門跡があるようだ。
とりあえず、案内図に従い東側の道を行き、「本丸跡」に行ってみることにする。400年前はこの山の上に多くの人がいたかと思うと不思議だ。平らにできる土地は全て平らにされている。たくさんの建物があったんだろう。
「本丸跡」の西側の斜面に石垣が少し残っている。400年もよく残ったものだ。
11:28
「本丸跡」に到着。当然ながら山頂は平らで、雑木に囲まれ展望はあまりよくないが、南側は姫路市内の苫編山が、その先には家島も見えた。北側には明神山・笠形山も見えた。
先客が一人いてインスタントラーメンを炊いている。私もここで昼食にする。コンビニで買ってきた弁当だ。
ここ本丸跡にも次のような警告文が掲げられていた。どうやらいまだに盗掘をしている人がいるようだ。
置塩城跡は国指定史跡です。この地内で許可なく伐採、発掘ならびに遺物をもちかえる等の行為は法律により固く禁じられ、厳罰の対象になります。
絶対に以上の行為はしてはなりません。夢前町・夢前町教育委員会
12:15
「本丸跡」から「三の丸跡」に向かう。「三の丸跡」は発掘調査の最中で、縦横にトレンチが掘られている。今日は日曜日なので発掘は休みらしく、ブルーシートが掛けられている。何か出たのかな。
「三の丸跡」から「南西曲輪群」の南西にある「大石垣」に行ってみた。高さ2m幅10mほどの、大きな石を使った石垣があった。
次は大手門跡に向かったが、あまり道は整備されていなかった。「足元注意」の看板と、案内標識はよく整備されていた。大手門跡から下れるんじゃないかとの期待を持って行ったが、大手門跡には私の見た限りでは何も残っていない。下りる道はありそうだが藪が茂っているし
大手道、危険につき登山口に戻ってください。
夢前町
の看板もあるし、あきらめて引き返す。大手門跡までが下りだったので登り直さなければならないが。これから発掘する予定なのか、各所に縄張りがしてあった。
13:15
城跡の中をうろうろし、案内図看板・十六丁の道標の所に戻り下山し始める。九十九折れの道を、右に行ったり左に行ったりして下りていく。気温は25度程度、湿度が高く蒸し暑い。
13:42
登山口に戻る。
時間も早いし、すぐ北にある櫃蔵神社に行ってみる。ここにも広い駐車場があり、水洗トイレもあった。
家族連れがバーべキュをしている。大きなイチョウの木があり、銀杏拾いの人が来ていたが、まだ少し早いようだ。
史跡文化財 櫃蔵神社
祭神 豊受姫命・大年大神・若年大神
暦応3年(1340・北朝の興国元年)の創建と伝えられている。
現本殿は昭和3年(1928)に旧様式通りに改築された三間社流造銅板葺。高欄の宝珠には、延宝3年(1675)9月吉日小野甚右衛門尉藤原家久との刻銘がある。幣殿両隅に置かれている衣冠束帯の木像は延期喜(901〜923)の頃の作とされている。
置塩城五代目城主赤松則房が天正5年(1577)、羽柴秀吉に服して開城のとき、城の守護神は当社と糸田の柏森神社、恒屋の櫃蔵神社の三所に分祀された。
拝殿には貴重な絵馬が多く、奉納されている。境内に多くの大木が茂っているが、特に大いちょうは、高さ30m、幹まわり6.6mあり町内一の大樹である。また本殿背後の「ござる岩」と称する由緒ある大岩もよく知られている。夢前町
14:01
車に戻り、帰途に付く
14:27
家に帰着。総走行距離22km。これで赤松氏の城跡、白旗城跡、感状山城跡、置塩城跡の三つを登り終えることができた。
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