プチ登山、山崎町の最上山
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平成14年8月25日(日) メンバー 私だけ
最上山 | さいじょうさん | 320m+ |
この山は最上山、一本松どちらかな
山崎町市街地のすぐ北西にある山、最上山に登ってきた。
「播磨 山の地名を歩く」による338三角点が一本松(篠ノ丸城跡)で、そこから南東の尾根を下った150が最上山となっている。
しかし、私が思うに、この山全体が最上山で、一本松は頂上の微細地名ではないだろうか。篠ノ丸城跡が最上山の頂上で、338三角点は最上山の隣のピークになるのでは思う。
今回の山行計画は、山崎町市街地の上寺から門前に抜けるプチ山岳道路の中途の駐車場から出発し、最上山頂上を目指す。頂上から西北に延びる尾根を、行けるところまで行って折り返すか、下山路を探し自動車道を使い出発点に戻る、という計画だ。
6:51
家を出発。天気は曇り。前の休日は天気予報が悪かったので休養日にしたが、なぜか1日中晴れていた。今日の天気予報は曇り/晴れ。国道29号線に出て北上する。
山崎町市街地の今宿北交差点で左折し、突き当りを右に。一つ目に交差点を左に入り、1.5車線の曲がりくねったプチ山岳道路に入る。
計画変更
7:41
破線路と交わる、急カーブのところにある駐車場に車を止める。来る途中雲行きは怪しく、道路は濡れていたが、車を止めたとたん雨が降り始めてしまった。今日の行動計画は大幅な修正を迫られそうだ。コンビニで買ってきたおにぎりを二個食べる。
ひょうご森林浴場(最上山公園)
山崎町中心部の背後にある山で、早朝登山の人も多い。山頂の篠之丸城跡は秀吉の播州攻略のおり、落城したといわれ今は石碑が残るのである。八幡神社からはヒノキ、恵比須神社からはシイ、カシの林の中を登る。途中中腹からはヒノキ、アカマツ林、城跡への急坂はコナラの道となる。そのほかサザンカの道、桜の道もある。最上山公園からは山崎町の町並みや揖保川を一望できる。
この案内板は緑の募金により整備しました
8:40
雨が止んできたので、最上山公園の偵察に行く。モミジの木が沢山あり紅葉の時期はきれいなことだろう。遊歩道はよく整備されていて千畳敷、百畳敷の広場には遊具もあり山崎町の人々の憩いの地になっているのだろうか。
「史跡 尼ケ端(鼻)」には展望台があり、山崎の町並みが一望できた。
史跡 尼ケ端(鼻)
天文の昔、出雲の尼子氏、中国を征圧し、播州をも攻略す。因って山前邑にも砦を築き、此の山端に物見櫓を設け、宇野勢の動きを監視す。
邑人此の山端を尼子が端と称したり。其後永禄四年安芸の毛利氏尼子の本城富田城を攻め滅ぼす。機を失せずして宇野氏も尼子の砦を急襲し、悪代官江津の四郎の首を取り鼻を削ぎ此の処に梟首せり。以来邑人此の山端を尼ケ鼻と言えり。(石柱の説明文より)
車に戻ると、また雨が降り出した。弱くなったり強くなったりするが、止むことは無い。
仕方が無い、最上山だけは登っておこう
11:11
どうにか雨が上がったので、合羽を着て出発する。最上山だけは登っておこう。駐車場の端に「篠ノ丸城跡700m」の案内看板がある。
11:14
道路を少し登ると篠ノ丸城跡への遊歩道入口があった。最初だけは階段道だが、その先は九十九折れの緩やかな坂道だ。よく整備されていて、杖も用意されている。
11:28
最上山・篠ノ丸城跡に到着。頂上は平らに開削されていて、遊具や旗を揚げるポールがある。記念の石碑が沢山あり、妙見大菩薩の祠もある。
二代目一本松はすでになく、三代目一本松が植えられているが、まだ小さい。城跡の周囲は木に囲まれ展望は良くない。
西に少し行くとログの休憩所があり、ここからは山崎の市街がよく見える。
11:49
また雨が降り始めた。下山することにする。
12:07
車に戻り、コンビニで買ったざるそば・稲荷寿司セットのお昼ごはんを食べる。雨はまだ降り続いている。
12:30
家路に着く。安富町から6月に登った当田山がよく見え、63番鉄塔からの下山路がはっきり分かった。やはり63番に行くべきだったのだ。
13:23
家に帰着。総走行距離65km。途中から天気が良くなり、姫路に着いたら日がさしてきた。姫路では1滴も雨は降っていないそうだ。
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