書写山圓教寺、一味違う六参道巡り
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平成19年5月12日(金) メンバー 私だけ
置塩坂参道〜西坂参道〜東坂参道〜刀出坂参道〜六角坂参道〜索道参道
2万5千分の1地形図「姫路市北部」を参照すること。
その1 置塩坂参道
8:05
姫路駅前発の雪彦山行き神姫バスを、書写山東側の書写吹バス停で下車。平日ならもっと早い便(7時26分着)もあるのだが土日は雪彦山行きが始発便だ。何時になく乗客は多く、終点の雪彦山まで行きそうなハイカーも複数人乗っていた。
4年前に妻その1と歩いた西国二十七番札所 書写山圓教寺の6本の参道を、今回は私一人で前回とは逆廻りで歩いてみようと思う。一応駄目元で妻その1を誘ってみたのだが、なぜか一蹴されてしまった。
下車した書写吹バス停の西側、少し奥まったところに祠が二つ祀られている。神様仏様に願い事をするのを潔しとしない私は、ただここに来ることが出来たのを感謝するのみ。
文化財 書写吹石仏 姫路市
文明7年乙未年12月27日、南無阿弥陀仏との刻銘がある。紀年銘のある地蔵像では夢前町内で3番目に古いものである。(文明7年は1475年)
自然石を彫りくぼめ、中肉彫りをした地蔵菩薩半跏像である。この石仏はいつの頃か夢前川に流出していたのが発見され、ここに祀られたもので、掘り上げ地蔵とも呼ばれている。
8:14
「竹尾ぶつだん店」の南側から置塩坂参道は何気ない石段で始まり、「書写吹 書写山登口」の表示がなければここが登山口とは分からない。
昔の人が時間をかけコツコツと彫ったのだろうか、岩にステップが刻み込まれ古来よりの参道の風情を醸しだしている。
その昔はユニバーサルスタジオジャパンもなければ東京ディズニーランドもなく寺社巡りが唯一の娯楽、いや信仰心の発露たる西国三十三ケ所巡礼の人たちが途切れることなく、この置塩坂参道を次の120kmも離れた二十八番札所 成相寺を目指し下っていたのだろう。
近所の人なのだろうか、この参道では二人に出会った。何も持たず、いや一人はなぜかピッケルを持っていた。
8:38
まだ新緑の雑木林の中の、きつくはないが緩くもない程ほどの道を登り、誰もが足を止める第一休憩ポイント磨岩仏「大日さま」に着いた。展望のない置塩坂参道だが、ここだけは南側の眺望が広がっている。
平らな岩に線刻された五輪塔や、普通の五輪塔、小さな石仏、石造りの道標などなどが次々と現われ、一つ一つを気の済むまでじっくり見ていたら圓教寺に辿り着くまでに日が暮れそうだ。
9:07
1本目の参道を登り終え圓教寺の境内、摩尼殿近くの送迎バス乗り場近くに着いた。その誰も訪れないだろう一角に100株ほどのピンク色のクリンソウが満開に咲いている。
四半世紀ほど前に北海道の山中でフキ採りをしているときに生まれて初めて見た、一株だけだが胸たけほどもある色鮮やかな見事なクリンソウの印象がいまだに強く残っていて、それ以上のものに会ったことがない。そのときに採っていたフキは背丈ほどもあり、葉も傘に出来るほど広く自分がコロポックルになったみたいだった。
9:11
今回の参道巡りでは三回来ることになる摩尼殿に到着。まだ参詣者の姿は見えず、清掃奉仕をされている方と挨拶を交わす。紅葉の時期が一番かもしれないが、新緑の紅葉も捨てがたい。
その2 西坂参道
前回の書写山六参道巡りを逆に廻るつもりなので、二本目は西坂参道を下る。登りに使うと急な辛いだけの道路歩きになってしまうが、下りはどうだろうか。
9:16
摩尼殿からロープウェイ山上駅への坂道を登ると、圓教寺会館の手前に西坂参道への分かれ道がある。いまだに馬車道と呼ばれている道で、10年ほど前に初めて書写山に登ったときに観光馬車を見た記憶が薄っすらと残っているが、7年前の平成12年3月31日に廃止されてしまった。今はその馬車道に四輪駆動の有料送迎バスが走っている。
西坂参道は妙光院の先で馬車道と別れ、大きな文字の「西坂参道 日吉神社・姫路工大へ ※この道はロープウェイへの道ではありません」の看板があり、その先は切り通しになっている。
9:21
セルフポートレートを撮っていると、切り通しにキティちゃん柄のエプロンを着けた石仏が祀られているのに気がついた。この西坂参道は今は自動車が通れるようになっているが、昔はどうだったのだろうか。
書写山の木々だけでは圓教寺の大伽藍の造営など出来るはずもなく、遠くから巨木が書写山を目指し運ばれ、この西坂参道を登ったのだろうか。
西坂参道の特徴は石仏が、他の参道に比べたら桁違いに多く祀られていることだ。大勢の人が力を合わせて急な坂道を巨木を運び上げたら、起こってはいけない事が、それも度々。そしてその記憶をとどめ安全を祈念し石仏が祀られたのではないかと思う。
この西坂参道では四人に出会ったが、一人だけはハイカーであとの三人は散歩の雰囲気だった。登ると辛いだけだが、下りに使うなら新緑の季節のせいもあるが快適な道だ。
9:31
文殊堂跡にはたくさんの石仏と五輪塔が祀られている。おそらく西坂参道を車が通れるように拡幅した時にここに集められたのだろうが、凄い数だ。
9:51
西坂参道の入口には自動ゲートがあり、車は入れない。なお、バイクも自転車も入山禁止だが、過去にはこの自動ゲートはなく、夜中に書写山に車で登り境内を走りまくったばか者がいたと聞く。
すぐ西側に日吉神社があり、寄り道をしていく。背後に書写山の鬱蒼たる森を従え、これぞ日本の神社の理想像。なんたって鎮守の森が書写山と超贅沢な神社だ。
10:03
西坂参道の入口は分かり難いが、バス通に出るとそこには「社日吉神社」の大きな石碑が立っていて、よい目印になっている。
その3 東坂参道
10:16
バス通りを東へ、山側に東洋大姫路高校を見ながら行くと、海側に「花山天皇 後醍醐天皇 駐輦之處」と刻まれた大きな石碑が立っている。そして、そこから北へ入る脇道が東坂参道で、八王子神社の石鳥居前を過ぎ如意輪寺へと続く道が参道の本来の道だろう。
10:22
書写山は明治5年より前の5世紀近くの長い年月は女人禁制で、ここ如意輪寺の女人堂でお札を納めていた。ロープウェイ山麓駅の駐車場から東坂参道を登る人は少なからずいるが、皆さん近道をしてここ如意輪寺まで足を延ばす人はいない。でも、書写山の歴史の勉強がてらここまで足を延ばすことを勧める。
本堂の左手の階段が、東坂参道の岩場の道へと続いている。そして九十九に登る緩い道と、あくまでも岩尾根を直登する急な道が絡み合いながら圓教寺を目指し登っている。
下の写真、左は緩い道、直進は急な道となっている。セルフポートレートを撮りカメラへと戻ったが、写真が気に入らずまた登って撮り直したりで疲れてしまい、最後は緩い道を登ってしまった。
急な道を登りながら振り返って見ると、山というか丘と呼べばいいのか、そんなのが沢山あり播磨国風土記に話が出てくる十四丘に比定されているものが多い。
参道と平行する電柱と電線・電話線がなければさらによいと思うが、必要なものだしまあ仕方がないか。
11:05
紫雲堂跡跡の展望広場に到着。東坂参道をここまで登れば、あとは緩やかな道が摩尼殿まで続いているだけだ。
この展望所のすぐ下はパラグライダーの発進場となっていて、一人がキャノピーを広げ風待ちをしている。上空高くには赤いパラグライダーが優雅に旋回を続けているが、なかなか良風が吹かず彼は飛び立つことが出来ない。
待つこと10分弱、一瞬の風にあわせてあっという間に飛立ったが、上昇気流に乗ることが出来ずにしばらく旋回を繰り返すが、しだいに高度を失い10分ほどで視界から消えてしまい着陸したようだ。
11:29
書写山の数ある参道の中で、この東坂参道だけは有人志納金所がある。拝観志納金は300円、バス往復送迎・食堂宝物館込みの特別拝観志納金は1,000円で、送迎バスは志納金所横で待機している。宝物館は200円なので送迎バス代は往復で500円となり、歩いたら20分弱かかるのでまあ妥当な金額ではある。
三十三体の観音像を巡りながら緩やかな坂道を登っていく。この辺りから、2週間前の六甲山夜間縦走の時に無理をした右膝の具合が悪くなってきて、観音様を拝む振りをして休み休み登っていく。しかし、まだ行程は半分残っていてこれでは六参道巡りは成就できそうもない。
11:48
二回目の参詣客が意外なほど少ない摩尼殿にようやく到着。摩尼殿前のはづき茶屋に入り「きつねうどんとビール」と言いそうになったが、思い止まり外のベンチにへたり込んでコンビニのおにぎりセットを食べる。
その4 刀出坂参道
12:05
「よし、もう一回必ずここに戻ってきて、はづき茶屋おでんとお酒だ」と自分を励まし、奥の院から始まる刀出坂参道を目指して出発する。
光と木々の緑が奏でるハーモニーが素晴しい圓教寺の境内、休憩のあとの緩い道では膝も快調でこれなら最後まで歩けるかな。
12:12
常行堂、食堂、大講堂がコの字型に並び三つの堂、500年ほども昔の室町時代に建てられたもので、いずれも国指定重要文化財だ。圓教寺の代表的な建物は摩尼殿だが、昭和8年に再建されたもので寺院建築物としては極新しいものだ。
12:17
食堂と大講堂の間を抜けて進むと開山堂だ。私は、お寺というと鬱蒼とした森の中にある暗いものを思い浮かべるが、ここ圓教寺はいつ来てもなぜか明るく感じる。
12:20
開山堂の脇から始まるのは鯰尾坂参道で、そのすぐ横からこれから下る刀出坂参道が始まる。岩場登りの東坂参道とセットで近畿自然歩道となっているが、この刀出坂参道を辿る人は少ない。
この刀出坂参道は谷沿いを下っていく比較的緩やかな道が続き、膝にも負担がかからずに快調に下っていく。前を行く下山中の若い女性10人ほどのハイカーグループにもう少しで追いつくところまで迫ったが、そのために少しだけ無理をしたようだ。
近畿自然歩道の無粋な案内がそこかしこに立っていて雰囲気を壊しているが、苔むした石の道標「右 志しやみち」がいにしえの参道らしさを醸しだしている。うん、道標は石に限ると思う、今日この頃だ。
石畳・石段跡がかすかに残り、下の写真のように急な片斜面に石積みをして道を通していたりで、かつての巡礼者の多さを感じられる道だ。
現在なら重機で斜面を削り取って道を通すのが当たり前だが、この道はたくさんの一抱えほどもある石をここまで運び、斜面に石垣を築き道を造っている。参道を通すのに神聖なる書写山の山肌を傷つけることなど思いもよらなかったのだろう。
13:07
痛む右足を引きずりながらも4本目の参道、下山完了。近畿自然歩道の大きな案内板が立ち、参道入口(近畿自然歩道の入口でもある)の明確な目印となっているが、私的には無い方がむしろ望ましいと思う。
近畿自然歩道の道案内に従い集落を抜け、菅生川にかかる「樫谷橋」を渡りバス通りをしばらく行くとコンビニがあり、肉まん1個だけを買い求め歩きながら食べる。山道歩きは膝にくるが、舗装道路歩きではどうといった事もなく次の六角坂参道を目指し歩みを進める。
その5 六角坂参道
13:35
バス通りから「六角北橋」を渡り道なりに5分も進むと、左に入る道の足元に「←書写山 参道」と書かれた木板が置かれている。公設の道標があって不思議ではない所だが、木板以外には何も目印はない。
そして、すぐに別れ道になるが、「右 志しやみち」の石道標があり、左へ行くと大年神社だ。
道端に室町時代前期の笠塔婆が何気ないふりをして立っている。室町時代というとあの一休さんしか私の頭には思い浮かばないが、ものすごく昔のことで西洋では勇者達が命がけのドラゴンクエストを繰り広げていた頃かもしれない。
その頃に造られたものが平然と道端に存在すること自体が、歴史の比較的浅い関東で生まれ育った私にはもの凄いと感じる。
13:42
休耕地か耕作放棄地か、その右奥から山道が始まる。四番目の刀出坂参道と同じく谷沿いの道で、広い緩やかな道が続いている。
広い緩やかな道は、右岸へと渡ると狭くなり少し険しくなる。半月より前までの右膝ならルンルンで登っていくのだが、今日はもうたいへん。膝が辛くなってくると立ち止まり、よせばいいのにセルフポートレートを撮り始めたりして登ったり下ったりで、さらに膝をいためつける。
14:07
岩の上に五輪塔が、よその山歩きではお目にかかれない書写山の参道らしい風景だ。でもこの五輪塔、ちょっと押したら崩れそうに見えるのだがどういうふうに積んでいるのだろう。もしかして心棒が通っているのだろうか。
14:17
「右 しよしや」の石造りの道標が立っている。西国三十三ケ所巡礼が庶民の間に広がった江戸時代のものだろうか。少しいびつで、文字も少し左寄りで、完璧な正確さを求めたがる現代のものにはない味わい深さがある。持って帰って庭の隅に置きたくなる人が現われるのではと少し心配だ。
谷道の常として稜線が近づいてくるとどんどん急になってくる。私の右膝にとっては試練の場だが、ここで右をかばいすぎたら左膝も道連れになるのは目に見えている。右膝に力を込め痛みをこらえ、一歩一歩確実に登っていく。
14:40
無人志納金所通過、すぐ先が摩尼殿だ。ここにはロープウェイ山上駅に戻る人が迷い込まないようにバリケードが置かれているが、別段通行が禁止されているわけではない。なお、この参道では全く人に会わなかった。
14:43
本日三回目で、これが最後の摩尼殿に到着。これで合計1,000m以上登ったが、膝さえ問題なければもう一巡でも二巡できそうな気がするが、このへんで勘弁してやろう。暑くも寒くもないよい季節なのに、参詣者・ハイカーの姿は相変わらず少ない。
その6 索道参道
置塩坂参道・西坂参道・東坂参道・刀出坂参道・六角坂参道と歩いて、最後は鯰尾坂参道を下って六参道巡りを終わらすのが最初の計画だったが、右膝をいたわるために第七の参道・ロープウェイでの下山を決断する。表題の「一味違う」とは最後の鯰尾坂参道を下る代わりにロープウェイ参道で下ったことを意味しているだけで、それ以外の深い意味は全くない。
なお鯰尾坂参道を去年の10月下旬に歩いた記録「書写山の磨岩仏参道を歩く」というのがある。
そうと決まれば、摩尼殿前のはづき茶屋に入り「おでんと熱燗」を注文する。8人ほどの女性ハイカーグループがソフトクリームを食べながら談笑している店内から外をぼんやりと眺めていると、ほどなく注文の品がやってきた。
ぬる燗にプラコップというなんだかなの組み合わせに、おでんも木の芽を添えたお上品な盛り付けではあるがインパクトがないというか、まあどちらも十分に満足出来るものではあるが書写山圓教寺の名物とはなりえないと思う。
15:04
はづき茶屋で20分も休憩したにもかかわらず、私の右膝は休憩前よりも痛みはさらにひどくなり、もはや平地でも普通に歩くことが出来ない始末。ロープウェイ山上駅までは結構な歩きごたえがあり休み休み、右足を引きずり牛歩にさえ負けそうなペースで進む。
15:30
三十三体の観音様に励まされ、やっとのことで山上駅に到着。ロープウェイの料金は片道なら500円、往復は少し安くなって900円。前に乗ったときは姫路市交通局直営だったが、昨年の4月から指定管理者制度が導入されて神姫バスが運営業務・施設管理を行っている。そのためか駅員の愛想が物凄く良くてビックリ。
書写ロープウェイ駅から姫路駅前行きの、かつては姫路市交通局が運行していたバスも、ロープウェイの移管から1年遅れの今年の4月から神姫バスに変わっている。次に書写山に登ったら圓教寺も神姫バスが運営していたりして。
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